腰痛に問診と検査が大事な一番の理由。
「病院に行っても良くならない・・」
「他の治療院でも納得のいく施術を受けられなかった・・」
当院でもこういった声をよく耳にします。
長引く痛みやしびれに悩む方は多く、その背景にはなかなか納得のいく説明や治療を受けられていない、という実情があります。
ではなぜ専門機関である病院や多くの治療院で、解決できない問題があとを絶たないのでしょうか。
その答えはシンプルで、医者をはじめとする多くの専門家が、
「症状だけを評価し、その人自身を見ていない」せいかもしれません。
腰部脊柱管狭窄症と診断され手術をすすめられた男性
先日当院にみえた70代後半の男性Aさん。
この方もやはりそのひとりでした。
数年前、ある時から長い距離を歩くと足腰がつらくなる(間欠性跛行)に悩まされ病院へ。
そこではMRIを撮り「腰部脊柱管狭窄症」の診断を受け、治療法は「手術」のみが選択肢として提示されました。
しかし、Aさんは知人や著名人の術後のかんばしくない予後を知っていたため、「手術」を受けることはもともと考えていなかったそうです。
それからしばらく病院に通うも、毎回腰の牽引と電気をあてるだけ。
神経ブロック注射も何回か試しましたが効果なし。
その後もAさんは他の病院や治療院をまわりますが、結局どこにいっても同じような対応ばかり。
なかなか納得のいく説明や治療は受けられませんでした。
ちなみに日本の病院の腰痛治療の主な現状は、血液検査や画像検査の結果でほぼ診断が確定されます。
欧米ではとられない旧態依然とした診断形式が、残念ながら日本の病院の多くで形骸化されているように感じます。
ことさら腰部脊柱管狭窄症やヘルニアに関しては、「手術」だけが唯一の方法であるかのような説明をされてしまうこともしばしば。
それからというものAさんは病院に頼ることをやめ、みずからの食事制限で90キロ近くあった体重を70キロ台にまで落としたそうです。
※10キロ以上の体重減少は腰椎などの関節へのストレスを大幅に軽減させます
さらにAさんは腰痛に関する本をたくさん読み、できるだけ正しい情報を集め「自分で治そう」「自分にできることをやってみよう」という意識をつよく持ちました。
本にあった腰痛体操もいろいろ試し積極的におこなってきたそうです。
正直ここまで努力できる人は稀なため、私は心から感服し感動すらおぼえました。
整体とは本来「心と体」を観るもの
Aさんの努力の結果、間欠性跛行は次第になくなり腰痛も大幅に軽減したそうです。
その後しばらく調子はよかったものの、コロナ禍の外出制限やストレスにより、次第に歩行中の左臀部と左ふくらはぎの痛みを感じるようになりました。
まず重要だった点は、「また脊柱管狭窄症が再発したのでは・・」というつよい不安をAさんがもっていたことでした。
しかし当院での問診や検査では、今回のAさんの症状に「腰部脊柱管狭窄症」はあてはまりません。
ちなみに当院の見立てはどんなものかというと、
- 左臀部の痛みの原因は中殿筋のトリガーポイント
- 左ふくらはぎの痛みの原因は腓腹筋(外側)の筋緊張亢進による血流障害
です。
Aさんにこれをお伝えすると、とたんに安堵の表情をみせていました。
来院初日はたくさんの話をし、時間のゆるすかぎりの検査、施術を徹底しました。
そして一週間後の2回目の来院時には、「あれからまったく痛くなくなった!」と満面の笑みでやってこられたのです。
『痛みが嘘のようになくなった』
こういう魔法にかかったようなケースはごく稀ですが、実際に起こることがままあります。
プラセボ効果か、たまたま治るタイミングだったのかその理由はわかりませんが、ひとつだけ確かなことがあります。
それはAさんの「大きな不安が解消されたこと」です。
というのも、
ヒトの脳内では感情に関わる部分と痛みに関わる部分が密接につながっています。
つまり私たちが痛みに対して大きな不安を感じるようになると、症状はさらに増強し長期化してしまう、ということです。
今回のAさんもまた、「脊柱管狭窄症」へのつよい不安や恐怖をもって来院されました。
なによりお話の中で「俺はあれ以来医者を信じない。結局何もしてくれない」と強い語気で話していたのが印象的です。
体の不調に悩む人は、それがどんなものであれ「話を聞いてほしい」「不安に寄り添ってほしい」という切実な思いがあります。
近代化した現代医療は、以前は当たり前だった「話をきく」「手で触れて検査する」ことが少なくなり、高度な検査機器にその役割が転嫁されてしまっているように感じます。
もし医療において、医療人と患者双方の「信頼関係」が「薬や治療」と同じくらい大切だとしたら、今回のAさんにとって「心の底から安心すること」こそ、なにより体を癒す力になったのではないでしょうか。
医療とは本来、医療従事者と患者の「二人三脚」で成り立つものであり、それこそが理想のかたちです。
どちらか一方が頑張るだけではダメなんです。
『医は仁術』
今回、私はそれをAさんにあらためて教わった気がします。